時代はやがて平成となり、農園にも経営移譲を考える時期がやって来ましたが、親父は会社勤め。祖父は苺栽培の規模を縮小して、孫の誕生を契機に完全に撤退。経営の柱はお米のみとなりました。そんな折、農園に危機が訪れます。祖父が病に倒れたのです。
そして・・・
何とかしなければ・・・。そんな思いを抱きつつ、細々とした野菜の出荷を以て農家の命脈を保ちつつも、本格的な営農を再開するまでには親父の定年退職と、私の地元企業への就職を待たねばなりませんでした。私自身、他の志があった事は否定しません。が、やはり先祖伝来の田畑を守らねばならないとの思いが勝り、農業の道、お米作りの道へと挑戦する事を決めました。
そして、平成29年。祖父が植えるのを止めて以来となる田植えを行うことが出来ました!
農園にとって、20年ぶりとなるお米の栽培。作付けを再開したその年、田植えを待つことなく祖父は他界。親父は、サラリーマンで栽培経験は無く、教えを乞う事は叶いませんでした。独学で、栽培技術を研究し、手探りでの栽培でした。
初年度の作付け面積は、僅か1.2ヘクタール。これでも、兼業農家としては、多い方ですがお米農家としては零細規模に他なりません。各種の設備についても中断している間に手放したものも多く、刈り取った籾の乾燥-調製は農協のライスセンターを利用する他ありませんでした。
それ以来、徐々に預る田んぼも増えて行き現在では、4.5ヘクタールの農地で、お米を栽培できるまでに至りました。更に、令和2年には念願であった、乾燥調製設備を整え、籾播きから、乾燥調製に至る全行程を行えるようになり、やっとの事で思い通りのお米作りが出来る環境が整いました。しかしながら田んぼが増えたと言っても、まだまだ小規模の域を出ないものです。農業で、お米作りで叶えたい夢に向かい日々研鑽を続けています。