福田農園
古より青垣山と詠われる山々に四方を囲まれた大和盆地にて、
代々続く、お米農家です。
挑戦 挑め果敢に!  誠実 貫け誠を!
コンテンツ
CONTENTS
  • 注目のコンテンツ1
     福田農園は、大和国は柳生の地で代々続く農家です。   江戸時代には現在の地にありました。
  • 治道地区
     農園は、大和郡山市の農業地域の中核をなす治道地区にあります。お米の他にも、治道トマト 苺の栽培が盛んな地域です。
  • 苺の栽培
     代々続く、福田農園ですが一度、存続の危機に瀕したことがあり、何とお米作りを止めていた時期がありました。
  • 注目のコンテンツ1
     村の田んぼを、明日に残して行きたい!       今出来る事をする!
福田農園
  • 農園について
  •  福田農園は、奈良県北西部の大和郡山市の農業地帯の中枢を成す治道地区で、江戸の昔より、代々続く農家です。時代の変遷により経営規模の大小こそありますが、現在は、お米を中心に栽培を兼業において行っています。
  •  農業が、厳しい環境に置かれている昨今、北海道のような広大な農地が広がる土地で無ければ、お米の単独で経営を行うには難しい側面があり、大半のお米農家は、お米だけで無く、他の作物も栽培する複合経営を取っています。
  •  現在の福田農園は、それが農業では無いだけで、お米作りに向き合う姿勢と、情熱では、決して他に引けを取る、とは思っておりません。
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  •  農園の態勢としては、親父が園芸部門を担当しており、息子(私)が水稲部門を担当しています。
  • 経営理念
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  •  今日の農業が生き残って行く道。農園を続けて行くには、単なる食べる”モノ”としての、農産物、お米や野菜を作る。それではいけないと考えています。毎日の食事、安全である事は無論、安心して食べられる事。料理を作るお母さんが、安心して食べさられる事。これが最も大事なのであり、品物では無く、この安心を作り届ける事、これが肝要であると考えています。
  •  そして、この安心は、今日の食卓のみならず、明日の食卓においても、保てなければいけません。四方を海に囲まれ、食料の過半を輸入に頼るこの国において、少しでも多くの田畑を、田畑のままで後世まで残して行く。これが今日の農業者に課せられた使命であると考えています。
農園の歩み
    • 苺栽培
       
    •  大東亜戦争の影響を大きく受けた祖父の時代。跡取りとなり家に戻った祖父が戦後の混乱期を経て、従来のスイカやトマトに代わり昭和40年代に新たに栽培に取り組んだのが、「苺」でした。      
    •  ハウス3棟で促成栽培と半促成栽培(後に株冷栽培)合わせて、約3反の比較的大きい栽培規模を有していました。
    •  この頃には、お米作りにおいてもコンバインが導入されました。刈り取り、脱穀を一遍にしてしまうという、当時としては、画期的な機械でした。
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      存続の危機!

       時代はやがて平成となり、農園にも経営移譲を考える時期がやって来ましたが、親父は会社勤め。祖父は苺栽培の規模を縮小して、孫の誕生を契機に完全に撤退。経営の柱はお米のみとなりました。そんな折、農園に危機が訪れます。祖父が病に倒れたのです。

    • そして・・・

    •  平成10年。お米の作付けの中止の決断が下されます。農地の大部分を知り合いの農家さんに作って貰う。そんな状況でした。
    •  回復した後、祖父は畑で細々と野菜の栽培を続けていましたが、寄る年波には勝てずそれも次第に減少し、終には農家でありながら、一粒の米も、一本の野菜も出荷し得ない。
    •  自給農家であった、そんな時期が数年続きました。

      営農再開

       何とかしなければ・・・。そんな思いを抱きつつ、細々とした野菜の出荷を以て農家の命脈を保ちつつも、本格的な営農を再開するまでには親父の定年退職と、私の地元企業への就職を待たねばなりませんでした。私自身、他の志があった事は否定しません。が、やはり先祖伝来の田畑を守らねばならないとの思いが勝り、農業の道、お米作りの道へと挑戦する事を決めました。          

    •  そして、平成29年。祖父が植えるのを止めて以来となる田植えを行うことが出来ました!

      正真正銘の米農家へ

       農園にとって、20年ぶりとなるお米の栽培。作付けを再開したその年、田植えを待つことなく祖父は他界。親父は、サラリーマンで栽培経験は無く、教えを乞う事は叶いませんでした。独学で、栽培技術を研究し、手探りでの栽培でした。

    •  初年度の作付け面積は、僅か1.2ヘクタール。これでも、兼業農家としては、多い方ですがお米農家としては零細規模に他なりません。各種の設備についても中断している間に手放したものも多く、刈り取った籾の乾燥-調製は農協のライスセンターを利用する他ありませんでした。

    •  それ以来、徐々に預る田んぼも増えて行き現在では、4.5ヘクタールの農地で、お米を栽培できるまでに至りました。更に、令和2年には念願であった、乾燥調製設備を整え、籾播きから、乾燥調製に至る全行程を行えるようになり、やっとの事で思い通りのお米作りが出来る環境が整いました。しかしながら田んぼが増えたと言っても、まだまだ小規模の域を出ないものです。農業で、お米作りで叶えたい夢に向かい日々研鑽を続けています。

田んぼを明日に
  • 耕作放棄地の復田
  •  自らの田畑は自らで管理する。これが、原則ではありますが様々な事情によりこれが困難となり、次第に管理がなされず農地が荒廃していく。そんな現実があります。田んぼは、草刈り等の管理を止めれば、僅か数年という短い期間で木々が生い茂る原野に戻ってしまいます。耕作放棄地は病害虫の温床になるのみならず、本来、実りをもたらす田畑が、田畑として利用することが出来なくなってしまいます。そんな田んぼを再生するのは、もう一度開墾するのと変わらない作業が必要で、大きな草刈り機やバックホーが必要となって来ます。農園にもそんな機械があれば良いのですが、機械の持ち合わせはありませんので、普通の農作業に使う機械で可能な範囲で。ではありますが、そんな圃場の再生にも取り組んでいます。
  •  この圃場は、年数が浅く比較的容易であるとは言うものの、雑木の切り株が方々に点在していて、これを手作業で撤去するのには、何時も苦労します。
  •  それでも、一年後の秋。
  •  無事に、稲穂の垂れる田んぼに戻すことが出来ました。
  • 耕作放棄地の発生の抑制
  •  実際に作業をして、そこでお米を作ってみて、耕作放棄地の復田は、決して容易な事ではありません。従って、新たな放棄地の発生を抑制する事が、重要になって来ます。大規模化が推進される今日ですが、大規模農家だけで田んぼを守れるとは、思っていません。離農する農家の増大は、農地を如何に保全していくかと言う大きな課題を突き付けています。無論、微力に過ぎませんが、経営資源の許す範囲で積極的に農地を引き受けていくことが、集落の田んぼを明日に残す一助になれば。と考えています。
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  • 福田農園
  • 奈良県大和郡山市横田町
  • 日中は留守にすることも多いので下のフォームにてご連絡ください。

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